耳栓が手放せない
100均に売ってるスポンジタイプの耳栓が非常に有能で耳栓をつける事が当たり前の日常になっている。完全に音を遮断することは出来なくてもストレスの元になる音源の軽減は気持ち的にかなり楽になる
朝起きると既に耳栓をつけている
風呂に入る時くらいしか外してない
デメリットは消耗品なので金がかかる事と自分の心臓の鼓動がダイレクトに伝わる事。そして耳栓を装着してる間は娯楽の幅が限定的になる。例えば耳栓をしながらゲームは出来ないし音楽も聴けない。読書をするには最適のアイテムだろうけど
しかしながら今の生活において耳栓が必須かと言われると素直に頷く事は出来ない
便利さ快適さ故に依存してしまっている為手放せない
理不尽な騒音からは引っ越しという最終手段によって解放された。現環境で自分を悩ます音源はもう存在しない。あれだけあらゆる音に敏感になっていたのに上階の子供の走り回る音や走り去る車の音もストレスにならない
それでも耳栓が手放せないのはきっと恐れがあるからかいつ何がストレスに変わるかわからない
自分で言うのもなんだけど
周りと比べて自分は温厚な性格だと思っている。というよりは如何なる状況でも中立的な思考が出来るしどちらか一方に肩入れすることもない。でもその癖気にくわない事があると一方的に相手を非難しがちで攻撃的になる
まあ矛盾のない人間なんて世の中に1人も居ないんだし別にパーフェクトヒューマンになりたい訳じゃない。
ただこの性格のせいでいっぱい損をしてきたのも事実。学生の時なんかは誰かと誰かが揉めた時、味方を増やしたい人種はあーだからこーだから自分は間違ってないよな?と仲間を増やしたがるけど、素直に「俺は味方だよ^_^」だと言えない。両方の言い分を聞いて初めて判断するもんだとそういう教育を叩き込まれてきたから実際友達は少なかった
ブログを書き始めて垂れ流した文句の数々を改めて見返してみると自分でも気付かなかった自分の本音だったり価値観ってのが文章を通して発見出来て面白い反面、相当な自己嫌悪があったりと複雑な心境だなぁと
最近、夜に出歩く事が増えてきて
ただあてもなく散歩してるだけなんだけど
あえて苦手な人混みに飛び込んでみたり
危ない人達がたむろしてる路地裏を歩いてみたり
一年間無職でほぼ引き篭もり状態が相当しんどい事が改めて理解出来た。これで副業すらしてなくて年収0円の完全なる引き篭もりだったらどうなっていたんだろうと身震いする
この先ちゃんとした形で働く事はもうないだろうしその意思もないから残された時間をどう使っていくかの想像が面白いのと、そろそろインドア派からの脱却を考えている
人混みが本当にダメなのは事実
とにかく人酔いするし最悪過呼吸にもなる
でもこれは病気だから仕方ないと
割り切りたくないんだよね
無理した結果どうなろうと自己責任だし
多少投げやりな気持ちで強引に行動してみたい感が強くある
人と関わらず、人の多い場所へ