病
痛みを伴う病気にはなりたくない
もちろん精神病も中々にきつい
どっちも嫌だけど肉体的苦痛の方が嫌だ
痛みが長続きした場合
日に日に精神的にも疲弊して
結果的に肉体、精神と共に苦痛に蝕まれる
当たり前のように生きてると思ってても
健康的な状態でいられる事は決して当たり前でない事を痛みに襲われる度に強く思い出す
物理的な痛みによって浮かぶ"死にたい"は一過性のものが多く、痛みが治まるとコロッと元気になってネガティブな感情などすぐに忘れてしまう
運良く定期的に慢性的な痛みを伴う持病がないから症状が治ればそれで終いになるのが恐らく普通なんだろうが、また数日、数ヶ月後に突発的な痛みに襲われると思うと不安でやりきれない
ここら辺が人並み以下のメンタルと謂われる所以だろう
精神病を持っていて、日々なんらかのストレスによって引き起こされる精神的な痛みも痛みには違いないが豆腐並みのメンタルとは言えど、根性論でどうにかなる事も多い
脳腫瘍で亡くなった友達の場合
慢性的な頭痛による二次被害で精神的にも病む
現状、健康体なのに
この先の事を考えただけでドス暗い気持ちになるんだから大病なんか患った日にゃ耐えられる訳がない
人一倍、死に対する恐怖が強い反面
死に対する興味も深い
残される側からすると
死による救済はあまり理解されるような事ではない気がする。
本人が苦痛から解放されるなら
死んだ方がましという考え方はまともであると思う
すぐさま行動に移すかどうかはさて置き
それで自決したとしても
その思いを理解出来る者だけが尊重してあげればいい話なだけだ
まだ起こってもない未来の事に
とてつもない不安を感じるのも典型的な鬱の症状で、鼻で笑われるほど鬱という病に対しての認知度は浅いものがある。統計データがどうのこうのより周囲の関心を見てれば計れるもんだよ
そういう時に"考えすぎ"って言葉が
四方八方から飛んでくるんだけど
その対応自体は冷酷とも非情とも受け取らない事にしてる。というより、理解し得ない事は理解し得ないんだから仕方ないに尽きるってだけで。
理解できない事は悪い事じゃないし
思いやりが足りないとも少し違う
精神病持ちの人に対する接し方なんて
ネット見りゃテンプレートなんでザラにあんのよ。人それぞれ症状は様々で同じ鬱でも違いがあるのも当たり前でなんでもかんでもテンプレート通りに接すれば問題ない訳じゃないけど
最低限のテンプレートさえ覚えてしまえば少しのアドリブをもってして臨機応変に対応すればいいんだよ
そういう精神病の人との接し方みたいなワードでググってくれるだけ良心的だと思わないとね。引きこもりだとこの辺を意識しなくていいのがメリットだよな。基本人と関わらなければ、対人ストレスなんて発生しないんだから
俺みたいに孤独に疲れる人ばかりじゃなく
孤独に浸かり過ぎてまじで孤独を好む人もいる
そこでよく"真の孤独"を説いてくる連中も居るがそういうのは一切のシカトを決め込もう
糞めんどいだけのマスターベーションに付き合う必要なし
とは言え、冬が近づくに連れてもう俺も限界状態である事は隠しようがない
身体が重くって中々上がらない腰がよりいっそう上がらなくなってきてる
開き直って冬を越すまでは
また引きこもりになるか、最低限のコミニケーションに抑えるのも立派な自衛方法であるとは思う
そういうのを一切理解出来ない人脈は作ってないから一人、二人でも似たような気持ちを共有出来る人間が居れば、あーでもないこーでもないと雑談に花を咲かす事もできよう
持ちつ持たれつな関係性は大事だよね
お互い寄りかかり過ぎないようにするバランス感は中々に難しいとは思うけど何事もうまくいかないのが人だから、すれ違っちゃったら軌道修正、困難なら一歩引く事も大事
対人コミニケーションに関しては夏から今にかけて良いリハビリになった
12月入ったらお久しぶりにのんびりゲームでもやりたい